梶浦由記アニソン・劇伴界の天才!経歴・退社理由から代表作について

梶浦由記
  • URLをコピーしました!

Kalafinaの再結成が報じられ、梶浦由記さんは事前に情報は知らされていなかったことをSNSでコメントを発表。
いつかは一緒にKalafinaを紡げる道を探っていたが、もう叶わない事になった」と決別を改めて表明!

アニメやゲームを中心とし映画、CM、テレビ番組、ミュージカルなどの分野で活動され天才と称されています。

作詞・作曲・編曲・音楽プロデューサーとして数々の話題作を手掛けています。

経歴から代表作についてリサーチです。

目次

プロフィール

  • 名前:梶浦由記(かじうら ゆき)
  • 生年月日:1965年8月6日
  • 年齢:59歳(2024年10月現在)
  • 血液型:A型
  • 出身地:東京都
  • 学歴:津田塾大英文学科卒
  • 所属:スペースクラフトプロデュース (1993年~2018年2月)
       FictionJunction Music(2018年6月~)
  • 楽器:キーボード、ピアノ、コーラス

経歴

東京都内で生まれ小学校3年から中学2年までをドイツで過ごし、高校時代から帰国子女として東京都内で生活。

東京都立国立高等学校時代にアマチュアガールズ・バンド「15SAND(いちごさんど)」でキーボードを担当。

1988年3月津田塾大を卒業後、日本電信電話(NTT)に技術者として入社。

就職後もガールズバンド活動を続けたことでファンハウスの目にとまる。

・1993年7月プロとして音楽ユニット「See-Saw」でメジャーデビューするが約2年後の1995年に活動は休止となる。

この時期を堺に作詞・作曲を中心としたソロ活動を始める。

・1995年1月公開のドラマ映画「東京兄妹」で作詞・作曲を手掛け、その後SFファンタジー漫画原作のアニメ版「EAT-MAN」、アドベンチャーゲーム「ダブルキャスト」を皮切りに、アニメやゲームの音楽を中心に手掛けるようになる。

・2001年には「See-Saw」で活動を再開する。
・2002年9thシングル曲「あんなに一緒だったのに」がテレビアニメ『機動戦士ガンダムSEED』のエンディングテーマになり大ヒットする。
その後オリコンチャート4位を記録した11thシングル「君は僕に似ている」をリリースしたのち再び活動休止となる。

・2003年5月自身が楽曲のプロディース・キーボード・コーラスを担当しボーカルに「南里侑香」を起用した「FictionJunction YUUKA」で活動し、『機動戦士ガンダム』関連の楽曲を中心に数々のヒット曲を生み出しました。

・2008年1月には自身がプロデュースする女性ボーカルユニット「Kalafina(からふぃな)」を始動させ数々のヒット曲をを生み出しアニメとどまらず、歴史情報番組のオープニングテーマ、エンディングテーマ、BGM曲やNHK連続テレビ小説「花子とアン」の劇伴を担当。

・2018年2月20日 スペースクラフトを退社しKalafinaのプロデュースからも離れる事に。

・2020年 第62回日本レコード大賞において作詞・作曲を手掛けた「炎」(LiSAが日本レコード大賞を受賞。

代表作
・劇場版『鬼滅の刃-無限列車編-』の主題歌「炎」
・映画やアニメの劇伴や劇中歌、テーマソング
・NHK連続テレビ小説『花子とアン』の劇伴
・NHK『歴史ヒストリア』の音楽
・『機動戦士ガンダムSEED』
・『魔法少女まどか☆マギカ』
・『ソードアート・オンライン』

スペースクラフトプロデュース退社の理由

梶浦由紀さんが退所した理由として事務所の社長の変化が有ったと報じられていました。

「解散の原因は、『いきなり人が変わった』と周囲から話されている大西一興社長です。社長は突然、宝塚歌劇団にのめり込み、同時に社員のI女史を可愛がるようになりました。50代のI女史は、実は宝塚歌劇団出身。社長は目をかけているI女史を上のポジションに引き上げようとしていました。それには梶浦さんをこの業界に引き込み、梶浦さんから尊敬されているM氏の存在が邪魔だった」(別のレコード会社関係者)

 日に日に社長のM氏に対する態度は冷たくなっていったという。

「社長がM氏に対して突然、『お前はスパイなのか!』と怒鳴りつけたり、2016年9 月16日に武道館で行われたKalafinaのライブでは、M氏が招待した数十名のゲストの席が用意されていないということもあったそうです。耐えきれなくなったM氏は、2017年6月に事務所を退社。その後は社長の思惑通り、I女史が梶浦さんとKalafinaの現場の指揮を執り始めました」(同前)

 そして周囲が危惧していた通り、I女史と梶浦の関係は悪くなっていった。
 
「梶浦さんはM氏と二人三脚でKalafinaの現場を成功させていましたが、I女史はこれまでの現場のやり方を理解しておらず、梶浦さんとは上手くやれていない様子でした。愛想を尽かした梶浦さんは退社を決意。こうしてKalafinaは道しるべを失ったのです。梶浦さんがいないと、Kalafinaとして活動の予定も立てられず、現実的にKalafinaの活動が不可能な状態になり、2019年3月をもって解散することになったのです」(同前)

引用元:headlines.yahoo.co.jp

一つの成功を成し遂げるには人とのつながりが大事なのですね。

おわりに

アニソン界の天才と称される梶浦由記さんついておさらいでした。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次