2025年10月16日未明、女優の高橋智子さん(39)が東京都練馬区関町南で自転車走行中、後方から来た車にはねられ死亡しました。
加えて、運転していた38歳の男が「居眠り運転をしていた」と供述し、ひき逃げの疑いで逮捕されています。
注視しなければならないのは、高橋さんがルールを守って車道を走っていたという点。
にもかかわらず、命を落とす結果になった――この出来事は、今の日本の交通ルールに潜む“深い矛盾”を突きつけています。
この痛ましい出来事を受けて、改めて日本の交通ルールとその運用・実際のリスクとのズレについて、考えざるを得ません。以下、少し辛めに「ルールの矛盾」にチクリと切り込みます。
高橋智子さんの事故概要
報道によると、事故が起きたのは10月16日午前2時45分ごろ。
東京都練馬区関町南の車道を自転車で走行していた高橋智子さんが、後方から来た乗用車にはねられました。運転していた38歳の男性は「居眠りをしていた」と供述し、そのまま走り去った疑いで逮捕されています。
警察によれば、高橋さんは当時、車道左端を走行していたとのこと。つまり、彼女は交通ルールに沿った“正しい走行”をしていたのです。
ルールと現実のギャップ
「ルールを守った側」が犠牲になる現実
日本では自転車は「軽車両」に分類され、原則として車道を走行することが義務づけられています。歩道を走ることができるのは、「自転車通行可」の標識がある場合や、特例的にやむを得ない場合のみ。つまり、高橋さんは法に従って正しい走行をしていたわけです。
しかし、その「ルールを守った行動」が、結果的に命を奪うリスクに直結してしまった。車の居眠りという明白な過失行為の前では、自転車側の「正しさ」は無力でした。「守ったのに、守られない」――この矛盾が、今の日本の交通ルールの本質を象徴しています。
深夜の車道走行が抱える構造的リスク
事故が起きたのは深夜2時台。視界が悪く、交通量が少ない時間帯です。この時間帯の道路は、照明もまばらで、ドライバーはスピードを出しやすく、疲労や眠気も蓄積しています。それにもかかわらず、自転車は車と同じ車道を走らねばならない――これが現行ルールの現実です。
法の上では「正しい」。しかし、実際の環境は“想定外”の危険に満ちています。安全インフラ(照明、分離レーン、反射板など)が十分整備されていない中で、夜間に車道を走ること自体が命がけ。それでも「車道を走るのが正しい」と言い切れるのか――疑問を持つ人は多いはずです。
自転車=軽視され続ける“交通弱者”
自転車は法律上「車両」として扱われますが、実際には自動車と同列ではありません。事故時の被害は圧倒的に自転車側が大きく、命の危険すらある。にもかかわらず、制度上は「同じ車両」として扱われ、危険な車道を走る義務を負わされています。
この“建前だけの平等”が、交通安全の最大の矛盾を生んでいます。インフラ整備が追いつかないまま、ルールだけが先行し、「守れば安全」という幻想が独り歩きしている。結果として、守る人ほど危険な目に遭う――それが今の日本の交通社会の実態です。
今こそ見直すべき、形だけの「安全ルール」
交通ルールは本来、「安全のための共通言語」であるべきです。しかし現在の自転車ルールは、「車優先」「歩行者保護」の間に挟まれたグレーゾーンのまま放置されており、自転車利用者の安全を実質的に守れていません。車道を走る自転車のための専用レーン、夜間照明の整備、ドライバーへの注意義務強化など、制度的な改善が急務です。「ルールを守っても危険」という現実を放置しては、また同じ悲劇が繰り返されるだけです。
記事を通じて問いたいこと
運転者と自転車利用者の関係性・道路環境・社会的意識のバランスを、もう一度見直す必要があるのではないか?
ルールを守って「そこ」にいた人が、まさに“被害者側”になってしまう構図。これは本当に「安全を保障するルール」になっているのでしょうか?
自転車=“弱者”という位置づけだけではなく、事故被害を防ぐためのインフラ・制度は十分か。夜間・深夜の時間帯の安全性にも注視すべきでは?
車を運転する側の“居眠り運転”など明らかな危険行為に対する責任追及・防止策は、制度・社会共にどこまで機能しているのか?
おわりに ― 「守る」だけでは守れない現実をどう変えるか
高橋智子さんは、何一つ間違ったことをしていません。
ルールを守り、安全に走っていた――ただそれだけのこと。
「ルールを守れば安全」ではなく、「守る人が守られる社会」に。
彼女が「ルールを守って」走っていたにもかかわらず、車の重大な過失によって命を奪われたというこの事故は、単なる悲劇ではなく、社会に対する「問いかけ」としても捉えるべきです。
われわれが「ルールを守る」「自転車は車道」「ライト・反射材装着」などと言われるなかで、実際に閉じ込められているリスク、守られない“弱さ”を、忘れてはいけないと思います。
社会・行政・道路環境・個人の意識――いずれもが、もう一歩踏み込んで変わらなければ、同じ悲劇がまた繰り返されるでしょう。
この悲しい事故をきっかけに、交通ルールと安全のあり方を見直す声が広がることを願います。
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