昭和の名優がまたこの世を去りました。女優・中山麻理さんが2025年7月12日、都内の病院で闘病の末77歳でお亡くなりになりました。
昭和の芸能界で時代を築き、結婚・引退・離婚・復帰を経てシングルマザーとして3児を育て上げた後の晩年の暮らしぶりを辿ります。
闘病生活を強いられた病とは?
死因は『大腸ガン』でした。
昨年2024年末に体調を崩し入院。
闘病生活を送り、最期は3人の息子たちに見届けられて静かに息を引き取ったそうです。
「静かな闘病だった」。「長らくの闘病生活の末に亡くなった」とされており、最期まで穏やかな時間の中で過ごされたようです。
中山麻理さんの芸能キャリアとプロフィール
- 名前:中山 麻理(なかやま まり)
- 生年月日:1948年2月1日
- 年齢:77歳没 (2025年7月)
- 出身地:東京都世田谷区
- 身長:160cm
- 血液型:O型
- クォーター:祖父がイギリス系マルタ人
学歴:順心女子学園卒
中山さんが通っていたのは東京都内の名門お嬢様高・順心女子学園(現・広尾学園)です。
育ちの良さが話題で幼少期より上品な所作で同世代の誰よりも”大人びた美しさ”を身にまとう女性でした。
学生時代からすでに輝ける女優としての素質があり「当時からスターオーラが漂っていた」と語り継がれていました。
経歴:1966年東宝演芸部入所から芸能キャリスタート
高校卒業後1966年の東宝演芸部入所。
女優デビューは1967年の初舞台『不信のとき』
映画デビュー『兄貴の恋人』
1969年放送のTBSドラマ『サインはV』に主演
映画『限りなく透明に近いブルー』で活躍。
クールな美貌とグラマラスなプロポーションを持ち、映画やテレビではセクシーな演技の側面でも評価されました。
特に1974年のドラマ『傷だらけの天使』や、映画『炎の肖像』では沢田研二さんとのベッドシーンが注目を集めました。
当時の芸能界では先進的な演技で、時代の先駆けだったのではないでしょうか。
結婚:共演から生まれたロマンス 三田村邦彦さん
昭和の”世紀の美男美女カップル”と話題になった三田村邦彦さんと結婚。
1979年『限りなく透明に近いブルー』での共演がきっかけでロマンスが生まれ交際に発展し、翌年1980年に華やかな結婚式を挙げ当時の話題の一つとなりました。
中山さんは結婚と同時に芸能界を引退しました。
離婚:約20年の結婚生活にピリオド
1999年に離婚をされました。
原因は1990年に三田村さんの不倫が発覚。
相手は当時21歳だった女優の高橋かおりさんでした。
中山さんは慰謝料として2000万円の損害賠償訴訟を起こしました。最終的には1999年に泥沼裁判をを経て離婚が成立しました。
家族と子供:兄やその家族、3人の息子 華麗なる一族
中山麻理さんは、シングルマザーとして3人の息子を育て上げました。
・長男:三田村瞬さん (元俳優)
・次男:一般人
・三男:中山麻聖さん (俳優・舞台・映画・特撮界)
三男の麻聖さんが二十歳になった時には「母親卒業宣言」をしました。宣言後は女優業のかたわら、一人で海外旅行に出かけるなど”おひとり様”を満喫していたようです。
また、中山麻理さんの兄・マイケル中山さんは歌手・俳優として活動しその娘も芸能界へ。
姪に女優・中山エミリさん、モデル・英玲奈さんです。
芸能DNAは次世代に受け継がれているのです。
最後まで女優
子育てが落ち着き、晩年も俳優として舞台や映画の出演を続けました。
関係者によると「新聞に”元女優”と書かれるのが嫌」と唯一口にしていた愚痴だったそうです。
中山麻理さんは最期まで”現役女優”として人生を生き抜きました。
まとめ
昭和の時代を象徴する華やかな女優人生を歩んだ中山麻理さん。
順風満帆ではない人生でしたが、誠実に向き合い生き抜きました。
中山麻理さんを知る人の心には永遠に輝き続けるでしょう。
ご冥福をお祈りします。
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