【実録】”スイスで安楽死”「心が張り裂ける思い」 私のママが決めたこと ~命と向き合った家族の記録~

ママが決めたこと
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『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00~ ※関東ローカル) フジテレビのドキュメンタリー番組で、スイスでの安楽死を決断した母親と、その家族に密着した『私のママが決めたこと~命と向き合った家族の記録~』を放送。

番組を観ながら、自分だったら?!家族だったら?!と置き換えて考えながら見入ってしまいました。

番組をみて思うこと…

目次

番組内容『私のママが決めたこと ~命と向き合った家族の記録~』

ガンが全身に転移した母親がスイスでの安楽死を決断。

その母の決断に対して、向き合う家族を取材したドキュメンタリー。

苦しんできた母の決断を、家族は戸惑いながら受け入れた!

夫と2人の娘と暮らしていたマユミさん(44)は3年前に子宮頸がんが見つかった。
抗がん剤治療などを尽くしてきたものの、がんは再発を繰り返し、脳など全身に転移。
耐えがたい苦痛の中で、彼女は日本では合法化されていない“安楽死”をスイスで実行するという選択肢を決めた。

スイスでは“安楽死”は合法で、外国人にも許されている。

苦しんできた母の決断に対し、家族は戸惑いながらも受け入れた。

一度断った取材を受ける「安楽死について知ってもらえる機会に」!

マユミさんがSNSに、スイスでの安楽死について投稿したのを見たフジテレビディレクタが、取材の依頼をしたそうですが、当時は「家族に迷惑をかけたくないので、受けられないです」と丁重に断られたそうです。

やり取りは一旦終わったが、マユミさんからディレクタへ連絡があり、翌月にスイスで最後を迎えることを決めたことを伝え、「取材を受けます」と伝えたそうです。

その理由は?

今の日本の安楽死に関する制度について思うところがあることから、番組に協力したいという気持ちになったという。

この直前、このディレクタが制作したドキュメンタリー『最期を選ぶ ~安楽死のない国で 私たちは~』が放送されていました。
その番組を見たというマユミさんは

「自分は当事者なので、目を向けられないところもあったんですけど、こういう形で取り上げてもらって、安楽死について知ってもらえる機会が増えたのは良かった」


と感想を話していたのだそうです。

このテーマに対して、ディレクターが真摯(しんし)に取り組む姿勢が、彼女の心を動かしたのでしょう。

ものすごく生きる努力をしていた!

ディレクタ曰く、マユミさんがガンという病気に打ち勝つためにたくさんの努力をしてきたことは、本人や家族の話、そして実際に接した人柄からも十分に感じたそうです。

映像の中でもそれは感じられました。

最初から安楽死という方向に向かっていったわけではない!

マユミさんはバリバリのキャリアウーマンとして仕事をしていたときと同じ様に、夜な夜ないろいろと調べていたと夫のマコトさんが語っていました。
どんどん体が蝕まれ、痛みもひどくなっていく中で、娘たちのためにもという思いで、とにかく生きる努力をものすごくしていました。

決断!

末期がんにおいては、痛みを和らげる緩和ケアという方法もあります。
「もちろん、それは選択肢の一つとしてあったといいます。」

でも、マユミさんの場合は頭皮がんがすごいスピードで大きくなっていて、自分の脳の中も同じようにがん細胞でパンパンになってしまうのを考えたらキツいなと話していたそうです。

脳に転移してから急に目が見えなくなってきたり、体の支障も感じていて、命を延ばす緩和治療を、自分がしたいとは思えないと考えていたようです。

家族に対する思いからの決断だったのでしょう。

「理解」「尊重」

ディレクタと連絡をとった際には、11月に安楽死をすると決めたことを家族には伝えていなかったようです。

初めて会うまでの間に、家族と初めて向き合って話をされたとのことです。

2人の娘さんは、当時、高校3年生の長女(18)と小学6年生の次女(12)は共に、受験を控えていたこともあり、マユミさんも伝え方に苦悩していたようです。

特に次女については、直接の会話だけでなく、直前までLINEで「ままは安楽死したいの?」と問いかけられ、それに答えるという形で理解を求めていたようです。

夫と2人の娘は、この選択に「納得」とまではいかないものの、最終的に「理解」「尊重」することになりました。

ディレクタはそれまでの取材経験では、家族全員が一定の理解を示すというのは、とても珍しいことだという。

この一家がそれをできたのは、マユミさんの人柄が大きいと考えているとのことでした。

「本当に友達のようにすごく仲の良い家族なんです。
親としての責任をきちんと果たしつつ、同じ目線で話している印象があって、その表れとしてあだ名で呼び合うのが印象的でした。だからこそ、こういう形になったのではないかと思います」

別れ

マユミさんが最期となる地であるスイスへ旅立つ母と娘たちの空港での別れはいろいろと考えさせられました。

なぜ、家族全員でスイスへ行かないの?ここでの別れの意味は?といろいろと考えてしまいました。

病気が発覚してからの時間の中で、家族とマユミさんはいろいろな葛藤があった末の決断だったのだと思います。

本音

ディレクタが語った辛かった事!

最期の日の前夜に本音を打ち明けられた時が、今回の取材で最もつらかったと振り返る。

「娘さんたちへの思いを聞いていると、“娘たちは自分に対していろんなことを考えながら言葉をかけてくれて、それがすごく支えになってうれしかったんだけれども、自分は亡くなってしまうから、それを彼女たちに返すことができないことが残念で悔しい”と、涙を流したんです。
ご家族からもマユミさんは全然泣かないと聞いていて、僕もそういう姿を見たことがなかったので、やっぱり家族ともっと一緒にいたい、娘さんたちにできることをもっとしてあげたいという思いが強くあるんだとすごく感じて、その時は本当に心が張り裂けるような思いで聞きました」

マイナビニュース

その翌日、マユミさんは自らの手で致死薬の入った点滴のバルブを開け、愛する家族に見守られながら、穏やかに目を閉じ、最期の時を迎えました。

ネット配信 TVer

YouTubeで見れていましたが、2024年6月3日現在TVerで1週間程度は観れます。

ママが決めたこと
ママが決めたこと

おわりに

全身転移のガンと戦い安楽死を選んだ女性のドキュメンタリー番組でした。

日本では身近ではない安楽死!それを選んだ女性の葛藤。妻として、母親として、その心境ははかりしきれないものだったと思います。

映像に映っていない家族の心情などを考えると直視できない番組でした。

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